![](https://static.wixstatic.com/media/13f6ca_d55310065bd648e885b86fec1f3efdc4~mv2.png/v1/fill/w_1152,h_1920,al_c,q_95,usm_0.66_1.00_0.01,blur_2,enc_auto/13f6ca_d55310065bd648e885b86fec1f3efdc4~mv2.png)
![%E5%86%99%E7%9C%9F%202021-01-26%2016%202](https://static.wixstatic.com/media/13f6ca_08f0ef0895a84f828be6217a97eca9c3~mv2.png/v1/fill/w_973,h_344,al_c,q_85,usm_0.66_1.00_0.01,enc_auto/%25E5%2586%2599%25E7%259C%259F%25202021-01-26%252016%25202.png)
足の速さは才能じゃない❗
〜君の足を速くする52週間の物語〜
序章
![wada-sprint-jamaica.jpg](https://static.wixstatic.com/media/13f6ca_8578da9f510d4633a832fcd100ef3343~mv2.jpg/v1/crop/x_160,y_224,w_800,h_736/fill/w_121,h_111,al_c,q_80,usm_0.66_1.00_0.01,blur_2,enc_auto/wada-sprint-jamaica.jpg)
2014年、ビーチフラッグスの世界チャンピオンを目指してあと一歩のところまできていたボクは、絶対的な世界王者をなんとかして超えるためにあらゆるトレーニングを積んでいた。
ボクの名前は和田賢一。職業はライフセイバー、そしてビーチフラッグスの選手だ。
ビーチフラッグスは、スタート地点でゴールに足を向けてうつ伏せになった状態から素早く起き上がって向きを変え、20メートル先の砂浜にたてられた小さな旗を誰よりも速く掴みとる、という競技だ。
ボクは、なんとか日本チャンピオンになったが、絶対的世界王者であるオーストラリアのサイモン・ハリスとの間にある差をどうしても埋められず、行き詰まっていた。。。
うつ伏せから素早く起き上がってスタートを切る動作を徹底的に極める、これがそれまでのボクがとったアプローチだった。
それによって、世界2位にまでなったが、わずか20メートルであっても明らかに「足の速さ」で負けてしまっていた。
課題は明確で「走力の向上」だった。
しかし、誰にきいても「足の速さは才能だ!26歳からトップレベルを目指すのは難しい」と言われて、途方に暮れていた。
ここまで頑張ったんだ、しかたない、あきらめるか?
いや、本当にあらゆる選択肢を僕は試したのか?僕がまだ試していないことはないか?
僕はそのことを何日も考えに考えた。そしてある人のことが頭に浮かんだのだった。
思い出すだけでも笑ってしまうバカみたいな思いつきだが、僕は、すがる想いでウサイン・ボルトさんに連絡をとろうと試みた。
どうしていいかわからなかったけど、僕にできることは、SNSでボルトさんの連絡先をきく投稿をすることぐらいだった。
もちろん、そんなことをして、すぐに連絡先が届くかどうかなんてわからない。
こんなことをみんなが見ているところで発信して恥ずかしいという気持ちもあった。
実際、その投稿へのコメントは、「そんなことしても連絡先がわかるわけないだろう」「ボルトさんと練習しようだなんて非現実的だ」そんな否定的な声しかなかった。
心が打ち砕かれそうになったそのとき、僕は一通のダイレクトメールに気付いた。
「僕の知り合いがボルトさんの所属するチームの連絡先を知っているのでそこに連絡してみてはどうでしょうか。」
僕はつたない英語で一生懸命考えて、その連絡先にどうしても一緒に走る練習がしたいということを送った。
するとすぐに返信がきた。
「本気なんだったら今すぐ来い!」
信じられない返信だったが、勿論、本気に決まってる。なんとしても行くしかない。
ボクは、全財産とクラウドファンディングで募った資金でジャマイカへ飛んだ。
100m 11秒8
これがジャマイカへ到着したときのボクの走力だった。レベルの高い陸上部なら中学生でも簡単に出せるようなタイムだ。
そのボクの走りを一目見てジャマイカのコーチはいった。
「ケンイチ、お前の走り方はマラソンランナーの走り方、つまりランニングだ。」
ボクは言われていることがすぐには理解できなかったが、コーチは続けた。
「なぜ、スプリントをしない?ボルトの走り方をみてみろ」
確かに、ボルトさんの走り方は、単純に力強いだけではなく、足の動き方が明らかに違った。
そうか、長くラクに走るランニングと短く全力で走るスプリントは、別のテクニックなのか。
なんてことだ!ボクはそんな根本的で重大な事実にジャマイカに来て初めて気付いた。
ボクは人の意見は聞いてきた方だと思うが、日本じゃ今まで誰もそれを教えてくれなかった。
ボクは食い気味にコーチにきいた。
「ボクはいま26歳だ。日本では、誰に聞いても今から速くなることは無理だといわれた。
今からでもボクの足は本当に速くなれますか?」
コーチは確信を持った表情で力強くこう言い切った。
「お前の足は必ず速くなる」
こうしてボクの人生に革命を起こしたジャマイカでの3ヶ月が始まったのであった。